しょぼしょぼ内省

ほんとにしょうもない人間です。

愛ある話だけしたいよね

ツく、ツかないだとか波動だとか。

運気だとかオーラだとかとは無縁だと思ってた。

 

にゃんこ大戦争のGW限定「超極ネコ祭り」で超激レアを今のところの進捗で10体当てている僕は、他のプレイヤーに比べると「ツいてる」んだろうし実感としてすごく無駄な領域に運を消費しているような気持ちだ。

 

僕の会社では(おそらく一般的には)驚くべきことに「ツく」という言葉が一般的な用語としてまかり通っていて、「ツいている人と付き合おう」や「ツくための良い癖をつけよう」といった教えを新卒から受けてきた。

スピることには抵抗のある僕だが、不思議とこの考え方はスッと身についた覚えがある。

 

よく喋る昔ながらの友達の一人は、すごく良い奴なのだが一つどうしてもキツい癖がある。

周りの人を「バカだ」「頭がおかしい」「能力が低い」とこき下ろし、嬉々として言いふらすのがどうしようもなく好きなようなのだ。

別にそれをして相対的に自分の有能さをひけらかしたいわけではなく、ただ彼にとっての「最近あった身近な一番ウケる話」の大半が周りの人の悪口なのだ。

 

僕も人間性が低いので時々そんな彼に対して、「そんな低脳な人しかいない環境に身を置く君も知れたものだ」などと言ってみては、その場の空気を微妙なものにしたりする。

なぜだか、僕の知らない人についての話であっても悪口を聞くと何とも言えずイヤ〜な気持ちになるものだ。これはどうしてなのか。

 

理由①負の波動を受けるから

波動とか言ってしまったが僕の語彙力では波動と表現するほかなく、30も手前にしてスピり具合が加速してきたようだ。ただ「馬鹿」「少し考えたら分かる」「クズ」と延々と聞いていると自分に向けて言われているようで気持ちがめいるのは確かだ。

そして僕は同時に、悪口を言っている時の如何ともし難い快感を知ってしまっている。言えば言うほど自分がこの世の評価者で、全能な感覚を味わえるあの気持ち。

深層心理でそんな自分に嫌気がさしているからこそ、写し鏡になっている友達にも嫌悪感を抱くんだろう。

 

理由②自分も言われていると感じるから

友達は悪口を本当に楽しそうに、何よりの面白話として喋りまくる。

その悪口の対象は職場の人や家族に留まらず、果ては松本人志さえ彼の手にかかれば何一つ面白みのないセンス無し男になってしまう。

その対象に僕も含まれていないとどうして言えるのだろう?職場でも家族にも見せないどうしようもない姿を見せ合えるのが友達なのだから、いくらでも悪口を言えるネタは揃っているはずだ。

 

理由③単純に知らん人の話だから

僕は人にそのコミュニティ外の人の話は基本的にしない。「こないだ会社の同期の結婚式に行って〜」くらいは話すが、「その席にいた伊藤がさぁ…こんな奴でさあ…」までは相当ウケる算段がない限りは流石に話さない。

そいつの良い話だろうが悪い話だろうが突き詰めて言えば、「知らんがな」に終始するため聞く気なんて最初から生まれないのだ。

「◯◯って子がすごく可愛くて、今度紹介するよ!」なんてなれば「もっと聞かせて!」と思うのだが。

一般的にはどうなんだろう。ほとんどの人がそうだと思うのだけど。

 

と、3つほど理由を挙げてみたけど

お互いに知ってる人の無能な話で盛り上がりまくることはあるし、聞いている時の自分のコンディションによって凄くイライラするだけなのかもしれない。

でもやっぱり悪口ばかり言ってるよりもポジティブな評価を聞く方が気持ちは上がるし、少なくとも嫌な気持ちにはならないから反面教師にしようと思う。

とはいえ人が褒められてる話ばかり聞くのもムカつくな。人間力が低いので。

 

自律できるといいね

自主自律というのが母校の校是であり、「フリーではなくリバティなのだ」という大義名分のもと好き放題に高校生活を謳歌するのが母校のいわゆるイケている生徒の王道だった。

自らを律して自主的に動く・判断することを良しとするスローガンなのだと思うが、高校生にして急にリバティを与えられるとフリーを超えてフリーダム大爆発真っ盛りに突入するのは想像にかたくない。

 

僕はというと自主自律の言葉に隠れて見逃される、ちょっとしたサボりや買い食いや努力不足を存分に楽しみ、そのままの精神で今に至るという体たらくである。30歳も手前にして高校生時分のクセが抜けきっていないということで、精神的な成長曲線が10年以上横ばいということがよく分かる。

 

コロナ禍を経て、リモートワーク比率が上がったことでそのクセが完全に表面化したようでここ数年は入社したての自分にはおよそ見せられないようなサボり具合である。

入社してから運良くトントン拍子で早期に管理職になった分、会社から監視されることも少なくやりたい放題好き放題、自由気ままなサラリーマンライフを送っている。

 

とりあえず9:30に打刻をしたらそこからダラダラとシャワーを浴びて昼からのミーティングをぬるっとこなし、YouTubeでも見ながらExcelパワポを作るだけ。

10年に1人の逸材でなければ許されないような仕事ぶりを、予算未達の管理職が堂々とワンルームで繰り広げている。

 

ここらで一度「自主自律」の精神に立ち戻り、少しは尊敬されるような振る舞いをしてみたいなと思いつつ今も明日のミーティングの準備はできていない。

 

自律のために掲げるような人生の目標もあったもんじゃなし、最近読んだ本には「To Do型」の目標で動く人と「To Be型」の目標で動く人という話があった。

孫正義だったりホリエモンのような大経営者は概ねTo Do型で、ミッション的な思考からモチベーションを作り上げられるそうだ。しかし実際は周りからどう思われたい、だとかこうありたいのようなTo Be型の人間が大半だと。

でもよくある自己啓発系のほとんどはあたかも全人類にTo Do型の目標があるかのように書いてあるからギャップが生まれるんだそうだ。

 

僕も御多分に洩れず、創業経営者のような気質は持ち合わせていない人間なのでやはりTo Be型で思考しなきゃいけないんだろう。自分の人生が唯一無二で他の人と比べて自分に天才的な素地があるかのような勘違いはもうやめよう。

 

周りの人にどう思われたいか、自分がどうありたいかという問答はまあ今年中に固めるとして、少なくとも自律に向けたルール作りくらいはしようと思う。

自分が確実に集中できないと分かっている環境でダラダラしない、具体的なルールにドリルダウンすると

①家ではなく会社で仕事する。脱リモート

②まずとにかくPCを開くことからスタート

③音楽を聞かない。イヤホンをしない

あたりからだろうか。

自分のチームの新卒メンバーがこんな目標を立てていたら卒倒しそうだが、僕のレベルはこんなもんなのだ。何と言っても高校生レベルなのだから。

過度に自分に期待をしない。とにかくやる。

左利きのエレン的に言えば、「描けよ!」。これに尽きるんだと思う。